2013年8月27日火曜日

地元の歴史から学ぶ

おはようございます!

南信州飯田市できもの小紋染めを営んで2代目

創作染工房【久】の中島です。


父が東京の修行を終え、地元の飯田市で小紋染めの工場を始めて62年。

現在、ここ飯田下伊那地域には、その頃50件ほどあったきもの捺染業は、

現在、家を含めて2件となりました。


飯田市を中心とする伊那谷の歴史をふりかえる時、

養蚕と蚕糸業は忘れることができない産業です。

全国でも有数の生産地となり、その富は伊那谷をうるおし、

政治・経済・文化などあらゆる方面に影響を与えていました。

伊那谷の人々にとって、この産業は暮らしそのものであったともいえるほどです。


私が幼い時、学校の通学路には桑畑が広がり、

おやつ代わりに桑の実をほお張って

口の周りを紫色にしていたことを思い出します。

小学校では蚕を育て、一人一人が蚕の成長を観察し、

蚕の一生を学んだことなど、その時のお蚕様の柔らかく、

冷たい体の感触はいまでもしっかりと覚えています。


そんな蚕を『お蚕様』と呼んで、蚕玉をお祀りして、

大切にされていたことも思い出されます。




この南信州は絹を中心に栄えた文化が数多くあります。

その一つが茶の湯です。

「日本の衣」きものと縁は切れません。

きものを着ての所作や立ち振る舞、

きものとの付き合い方の法則のようなものが、

日本の文化に、教わることがたくさんあります。


誰でも経験があると思いますが、

若い時はどうしてか洋の文化に魅がちになります。

今、この年齢になって洋と和の違いが理解でき、

外の文化を自国の文化になじませて、

そこから新しいものを作り上げ、

これこそが日本の文化は洗練されてきたということを、

知ることができるのです。


今こそ、

養蚕と蚕糸業で伊那谷を富でうるおした

経済、文化に恩返しする気持ちで、

「日本の衣」きものと携わる一人として

南信州飯田市の文化を守っていくという使命が

課せられていると確信しています。

日本人の誇りを胸にきもの小紋染めを通して、

すばらしい日本の文化を次世代に語らなければと

私は強く思っています。

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